2019年2月26日火曜日

古希爺が不思議に思う事。人は定めに生きる?

さぁ!
きょうもブログを書くぞー

と言うものの、ちょっと疲れがあるようだ?😵
でも約束だ(一日一頁を書く)、自分自身とのである。




昨日は卓球大会の翌日で、やや疲れがあったのと、
雨が降りそうなので歩くのを止めました。

今日は1万歩以上目標に歩く予定です。




なぜに私は、
「人は定めに生きる」などと思うのか?


例えば、
こんなことなどを思うことはないでしょうか?

宝くじが当たればいいなーと思い買う。
全く当たらない。

そうかと思えば、
2回も3回も高額当選(数千万円)をしてしまう。

私ごとの卓球で言えば、
ネットインが続けて入る。エッジボールが何回も入る。

卓球をしている方ならすぐわかると思いますが、
狙ってもなかなかできるものではない。

車を運転していてもしかり、
ヒャッとすることが誰でもあると思います。
「あー良かった。事故らなくて…」ということなどです。


このような時に、
俺、今日は運が良かったよ。ということが、
多いのではないでしょうか?

では、ネットで「運とは」を検索すると、
あるはあるは色々な運についての記事が、
誰もが同じようなことを考えているのか?
似たような考え方が多く書かれている。


運とは、
人の身の上にめぐりくる幸・不幸を支配する。
人間の意志を超越したはたらき。
天命。運命。などと辞書にある。


ここで私が運についてどうこうというのではなく、
「定め」である。

定めに人は生かされている。ということを言いたいのです。

要は、このような出来事は、
誰もが知らないだけで初めから決まっている。
と考える考え方である。

仕事で失敗した。上手くいった…。
卓球の試合で勝った、負けた。
これも定めなんだと思う考え方である。

私は、時々自分の都合のいいように考えてしまう。
楽観的であると思う。


つまり、
生まれて来たのも定め、生きていけるのも、死んでいくのも、
定めである。

何年何日の何時何分何秒に死ぬなんて、
誰にもわからないでしょう。

これらは、
初めから決まっていて分からないだけなのだと思っている。

分かっていたら、
怖くて仕事や遊びなどはしていられないかもしれない。

人は、自分がいつまで生きられるかが分からない。
だから頑張れると思う。

あと一ヵ月で人類が滅亡などと言われても誰も信じないし、
笑われるでしょう。

本当に一ヵ月以内に滅亡があるかもしれない。
誰もわからないのである。

このように、
あらゆることが定めとして起こっていると考えれば、
今、起こっている全ての出来事を、
これも定めなのだからと割る切るれのである。

いいか悪いかは別として、気持ちが楽になるのです。😏

今、ブログを書いていることも定めであるという考え方である。


このような考え方をしていると思われるブログ記事を、
以前に読んだことがある気がする。


人それぞれ、十人十色。😊

いろいろな考え方があるから楽しいのである。

全員が金太郎飴では面白くも楽しくもないでしょう。



今日はここ迄です。










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